オーナー様のご紹介
太田 三代 Miyo Ota
元々は20歳前後で化粧品を取り扱う会社に勤めており、当時の夢はプロのメイクアップアーティスト。それから24歳から10年の間、スナックのママを経験しその後2年間は居酒屋をやっていたそうです。このように、様々な経験をお持ちの「太田三代先生」ですが、全く違う分野である「整体」にチャレンジしたのは、一から初めてのことに挑戦したいと思ったからだそうです。思ったらすぐ行動する太田先生は、アロマセラピーとエステティシャンの資格を取るため、専門学校に入学。卒業後は、エステのお店で働き運営やお客様の流れを勉強し、2019年11月に「聖Mental Body Consult」をスタート。それまでは、アロマやエステなどの色々な手技を勉強していましたが、新たに心理学も勉強したことで自分や自分の施術に納得ができるようになり、今のメニューに活かしているそうです。高橋 優子 Yuko Takahashi
オーナーである高橋さんがアロマに興味を持ったのは、大人になってからなったアトピー性皮膚炎がきっかけだそうです。この自分のアトピーを少しでも良くしようとアロマサロンに通い始めたことで症状の改善を実体験されたことをきっかけに、最初は軽い気持ちで始めたアロマでしたが、どんどんアロマの世界にのめり込んでいきました。その想いがどんどん強くなっていくにつれ、自分が体験するだけではなく、自分のように悩んでいる方を救いたいと思うようになり、2000年にアロマセラピストの資格を取得されました。スタート当時は、お客様を癒すことを考えすぎて、自分のメンタルケアを疎かにしてしまい、苦労されたそうですが、今では自分の癒し方も学ばれ、楽しんでお客様と生徒さんと一緒に仕事ができているそうです。高橋さんが目指すのは、アロマに関する表面的な知識や理解ではなく、アロマの魅力を深くまで理解してもらうこと。これからも、多くの方を救っていってほしいと思います。鈴木 ひとみ Hitomi Suzuki
ご自身も学生時代、中学校1年生から高校3年生まで陸上をやっていて、種目は「3種競技(幅跳び、100mハードル、砲丸投げ)」をしていたそうです。大会に出場した際に愛知県チャンピオンに輝いた過去をお持ちだそう。元々陸上を始める前までは、バスケットボール部に入部しようとしていましたが、陸上部の顧問である先生に陸上部に入部しないかと誘われたことがきっかけで陸上部に入部。やっていくうちに陸上の魅力を知りどんどんとハマっていったそうです。その後大人になり、協会の会長がこの陸上教室を始める際にひとみ先生を先生として抜擢して今の蒲郡クラブを指導することになりました。たくさんの人に陸上の魅力や楽しさを知って欲しいとの想いで、常に生徒さんと一緒に体を動かしながら陸上を楽しむことを考えやっているそうです。これからも多くの子どもたちに体を動かすことの楽しさや陸上の魅力を伝えていっていただきたいです。鶴田 隆康 Takayasu Tsuruta
40代半ばに鶴田工業の3代目社長として就任された鶴田隆康社長。元々祖父が鍛冶屋(鉄工所)をやっており、工場の土地として使おうと思っていた土地をバナナの栽培する場所にあてて全く異なった業界に挑戦を始めました。地域貢献のため地元の方々の力を借りてこの鶴田農園をスタートさせました。美味しいバナナを栽培するためこだわりのある苗を求めて鹿児島まで仕入れに行ったそうです。何か新しいことに挑戦したいという気持ちから農業をスタートさせましたが、人とは同じことをしたくなかったのでバナナの栽培を新たな挑戦としてチャレンジ。100年以上の歴史ある鶴田工業の実績と信頼があったからこそ挑戦することができたそうです。しかしバナナの栽培は今まで鶴田工業で行なってきたこととは全く分野の異なる新たな挑戦だったため一から努力をしたそうです。そんな努力があったからこそ今美味しいバナナを育てることに成功しました。甘くておいしいバナナをたくさんの人の元に届けて笑顔にしていってほしいです。今井 江利子 Eriko Imai
明治時代半ばに創業した頃は酒屋だった「今本屋」。今のように便利な世の中ではなかったため、お客様のニーズに対応するため、お酒以外の物の販売が始まりました。その頃の流れで現在でもお酒だけでなく自然食品やブティック、雑貨など様々なものを販売し、多くのお客様を様々な角度からおもてなしをしています。現オーナーの今井さんは4代目。海外からの食文化や添加物・保存料の入った食べ物が増えてきたことで、アレルギー体質や病気にかかりやすい子どもたちが増えてきていることを知り、人の体について勉強を始め、自然食品と出会ったそうです。こうして健康への知識が増える度に、自然食品の素晴らしさを知り、店頭に置く商品にも健康を意識した商品展開になり、お客様の健康をサポートするようになりました。体のことを勉強し体に良いものだけを取り揃えている「今本屋」。今後も健康志向の高い方々のための場として体に優しいものを多く取り寄せ喜ばせていただきたいと思います。片野 早久子 Sakuko Katano
元々はお母様がブティックやお化粧品を主に、お菓子や雑貨などを販売する雑貨屋を営んでいたそうです。小さな百貨店のような販売店として多くの人々から愛されていたそうです。幼いころから化粧品に囲まれて育ったからか、周りの子どもよりも早く化粧に興味を持ち、子どもながらにお母様にお化粧を施したり、自分のお顔にもお化粧をしていたそうです。自身や人に化粧をできることが何よりも楽しく嬉しかったとおっしゃっていました。その後経理の学校に行きましたが、やはり美容関係のお仕事をやりたいという想いから経理の道へは進まず、20歳からここ「ナカムラ」で働き始めました。エステの免許を取得し、今では最高のエステティシャンとなり高度なテクニックでたくさんのお客様を美しくなさっています。伊佐地 喜徳 Yoshinori Isaji
18歳から24歳までの6年間、大阪の有名な日本料理店で厳しい修行をしてきたそうです。知識も経験もない0からのスタートだったので、とても苦戦をした毎日だったと語っておられました。厳しい修行の間は広い部屋は借りられずたった二畳の場所で寝泊まりをしていたそうです。そんな厳しい修行があったからこそ多くの人から愛される「樽や」があるのだなと思いました。そして大阪での修行を終えた後、名古屋の店で5年間修業をしたそうです。そんな修行を繰り返していく中で現在の奥様にあたる女性と出会い結婚をされます。奥様の地元が岐阜県下呂市だったので結婚を機に奥様のお父様から下呂に呼ばれ、下呂での生活、「樽や」の大将としての生活がスタートしました。初めて来店された方がまた2回目に来店して来てくれる瞬間に一番やりがいを感じているそうで、これからもお客様がまた来たいと思えるような美味しく居心地の良いお店にしていきたいとおっしゃっていました。横田川 宗古 Souko Yokotagawa
高校の部活で茶道部に入部したことがきっかけで、茶道と出会った横田川さん。学べば学ぶほど茶道の魅力に引き込まれていき、部長を任されるほどの腕前になられ、文化祭でも大勢の人の前で茶道を披露し、学生時代から茶道の文化の素敵さを人々に広めたいと思って取り組んできました。高校卒業後は公務員として県庁のお仕事をやりながら、趣味である茶道を休日に楽しみやり続けていましたが、この時はまだ茶道を仕事として捉えてはいませんでした。しかし、公務員の仕事は専門職ではなく「自分じゃないとやれない仕事」ではなかったため、自分にしかできない仕事として、茶道教室をやることを決意されました。茶道をやることで着物や和菓子など様々な日本の文化に興味を持ち、茶道教室・着付教室をしながら、着付教室もスタートされました。これからも素晴らしい日本の文化をたくさんの人々に広めていっていただきたいですね。横田川 宗古 Souko Yokotagawa
高校の部活で茶道部に入部したことがきっかけで、茶道と出会った横田川さん。学べば学ぶほど茶道の魅力に引き込まれていき、部長を任されるほどの腕前になられ、文化祭でも大勢の人の前で茶道を披露し、学生時代から茶道の文化の素敵さを人々に広めたいと思って取り組んできました。高校卒業後は公務員として県庁のお仕事をやりながら、趣味である茶道を休日に楽しみやり続けていましたが、この時はまだ茶道を仕事として捉えてはいませんでした。しかし、公務員の仕事は専門職ではなく「自分じゃないとやれない仕事」ではなかったため、自分にしかできない仕事として、茶道教室をやることを決意されました。茶道をやることで着物や和菓子など様々な日本の文化に興味を持ち、茶道教室・着付教室をしながら、和菓子教室もスタートされました。これからも素晴らしい日本の文化をたくさんの人々に広めていっていただきたいですね。横田川 宗古 Souko Yokotagawa
高校の部活で茶道部に入部したことがきっかけで、茶道と出会った横田川さん。学べば学ぶほど茶道の魅力に引き込まれていき、部長を任されるほどの腕前になられ、文化祭でも大勢の人の前で茶道を披露し、学生時代から茶道の文化の素敵さを人々に広めたいと思って取り組んできました。高校卒業後は公務員として県庁のお仕事をやりながら、趣味である茶道を休日に楽しみやり続けていましたが、この時はまだ茶道を仕事として捉えてはいませんでした。しかし、公務員の仕事は専門職ではなく「自分じゃないとやれない仕事」ではなかったため、自分にしかできない仕事として、茶道教室をやることを決意されました。茶道をやることで着物や和菓子など様々な日本の文化に興味を持ち茶道の丁寧なマナースキルも身に付けていったそうです。これからも素晴らしい日本の文化をたくさんの人々に広めていっていただきたいですね。