オーナー様のご紹介
北園 正恵 Masae Kitazono
現在、ヨガインストラクターとして多くの方にヨガの魅力を伝えている北園先生ですが、元々は金融関係の会社で営業や事務などの経験を積まれていました。そんな北園先生に人生の転機が訪れたのは29歳の頃。この年はご結婚された年でもあり、ヨガと出会った年でもある重要な年。最初は結婚式のために少しでもダイエットができればと軽い気持ちで利用したヨガでしたが、体だけではなく心もリフレッシュできた自分に驚き、ヨガの魅力を肌で感じることができたそうです。しかし、そのあとすぐに子育てが始まり、通い続けることが出来なくヨガとは離れることになりましたが、それから5年後、お二人目を出産された後にヨガと再会。最初に体験したときとは違い、子育てによる体と心の疲れが大きくなっていたため、ヨガが持つ癒しのパワーを更に大きく感じることに。これを機に本格的にヨガの勉強を始め、2016年6月に「ヨガ ロータスマイル」を設立。現在は生徒さんから元気と癒しを貰いながら充実した毎日を送られています。福田 サキエ Sakie Hukuda
福田先生は、幼少時代から手先を使った物作りにご興味あり、独学で裁縫や工作などの技術を習得され、中学時代には一からセーターを作り、周囲の人たちを驚かせていたそうです。そんな手先の器用さを活かし、学校卒業後はアパレル関係の仕事を経験し、その仕事終わりには好きだった編み物の技術を向上させるため、編み物教室に通う日々を過ごされました。その後、22歳の頃のご結婚をきっかけに大阪に移り住み、スーパーマーケットで働きながら物作りへの想いを募らせていきます。そして昭和63年、ついに編み物教室を立ち上げ、口コミで生徒さんを増やすことに成功。編み物だけに捉われず、押花やレカンフラワーなど、様々なジャンルを勉強し、物作りの魅力を多くの人に伝えてこられた結果、国内だけではなく海外のコンテストでも優秀な成績を収めるほどに。2012年には地元である嬉野市に戻り、物作りの魅力を更にアピールしながら、ご活躍しています。岩本 芳温 Yoshimi Iwamoto
オーナーである岩本さんが美容業界に興味を持ったのは、ご家族の影響が最も大きかったそうです。おばあさまは岐阜県で美容師の第一人者と呼ばれ、お父様はテレビ局からも出演オファーが殺到するほどの有名な美容師さん、こうした環境で育ったことで、人一倍「美」に対しての興味を持ち、美容の勉強をスタートします。ただし、美容師でありながら一経営者という立場で必死に働くご家族の姿を見ていたため、経営側の苦労も誰よりも知っている岩本さんです。ですが、その分、お客様に対するサービス内容や効率の良い仕組み作りが自由にできることへのやりがいもとても感じていらっしゃるそうです。現在は、施術の担当される2名のスタッフさんを従業員として抱え、皆さん一丸となって日々お客様満足度を高めています。これからも、より多くの女性の輝く笑顔を増やし、更に大きく飛躍していくことでしょう。森 一馬 Kazuma Mori
一馬さんが音楽に興味を持ったのは小学生の時。周囲との人間関係に悩む当時の自分を救ってくれたのが音楽だったと言います。そこから様々なジャンルの音楽を聴き、声の出し方や抑揚の付け方を独学で学び、19歳の時に参加した「NHKのど自慢大会」でチャンピオンに輝きました。こうして好きになった音楽を仕事にしたいと真剣に進路を考えたそうですが、家族に迷惑をかけたくないという一心で学校卒業後はサラリーマンに。しかし、音楽への夢を諦めきれなかった一馬さんは、20歳の頃に脱サラし、バイトで生計を立ながら、バンド活動をスタート。この下積み時代を経て、24歳でソロ活動を開始されました。最初は知名度0の状態から始めたため、仕事は少なくご苦労もあったそうですが、各地のイベントで着実にファンを増やしてこられました。現在はヒット曲を作り、「NHK紅白歌合戦」に出演することを目標にパフォーマンスに磨きをかけていらっしゃいます。玉置 優也 Yuya Tamaoki
この業界に足を踏み入れる前は、高校時代に行なっていたテニスの経験を活かし、大手スポーツクラブ「アクトス」でテニスのインストラクターとして子どもから大人まで幅広い世代に運動の楽しさを伝えていました。その後、おじいさまが行なっていた塗装業の繋がりで出会った親方の元で修行を始め、塗装の奥深さとやりがいを感じ、この業界にどんどんのめり込んでいったそうです。独立のきっかけは、親方から言われた「独立してみるか?」の一言。不安と期待が入り混じりながらも、親方からの言葉を信じ、平成18年4月に「WAKUIRO」を立ち上げ、その2年後にはご結婚。現在は奥様が経理を担当され優也社長をサポートし、二人のお子さまにも恵まれ、家族と共に温かい会社を作っていきたいとおっしゃっていました。これからも、自分にしかできない発想で、新しいことに積極的にチャレンジしながら、お客様の笑顔を増やしていくことが目標だそうです。多田 真由美 Mayumi Tada
元々、多田さんのおばあさまが仲人業をされていましたが、多田さん自身は食料品の卸を行なう会社を立ち上げ、35歳の頃から10年間その会社の経営者として勤めます。当時から、友人や知り合いのパートナー探しをお願いされることが多く、多くのカップルを誕生させていました。仲人を行なうおばあさまの姿を幼少期から見ていたことと、様々な方と関わってきた今までの経験を活かし、43歳の頃本格的に仕事として仲人業をスタート。現在は3人のお子さまと4人のお孫さんを持ち、母親としてもおばあちゃんとしてもアドバイスできる幅が広がり、結婚させたいお子さま、お孫さんを持つご家族の方のご相談にも乗れるようになったそうです。これだけ結婚しない方々が増えている現代だからこそ、この仕事がますます重要な役目を担っていくと確信している多田さん。これからも素敵な縁を作るために、幸せと笑顔を増やしていきたいとおっしゃっていました。アイリス iris
元々歌うことが好きではなかったアイリスさんですが、28歳の時、ボイスヒーリングをやっている先生と出会い、「あなたは歌う人です。私のアシスタントをして下さい」と言われたことがきっかけとなり、自分の才能に気づかれたそうです。それまでは、海外に移住しようとカナダやアメリカで生活したり、派遣の会社で働きながら海外旅行に行ったりと様々な経験をされてきたそうですが、それを機に先生の元で3年間アシスタント経験を積まれ、歌との距離を縮めてこられました。こうして、先生と歌を間近で見てきたからこそ習得できたことが沢山あり、そこで出会った友達とデュオ(アンナプルナⅡ)を結成することに。そして、オリジナル曲・童謡で喫茶店、ホールなどを中心に音楽活動を開始されながら、音楽活動だけでなく、神聖幾何学ハレアートを習得。これからも、活躍の場をどんどん広げ、世界中に感動を与えてくれる日が来ることを楽しみにしていたいと思います。土屋 純一郎 Tsuchiya Junichirou
元々、お店を継ぐことを悩んでいた土屋社長。新たな自分の進む道を模索しながら、学校卒業後は銀行員としての人生を歩み始めます。しかし、ご結婚を機にお店に入る決意を固め、他の婦人服店で3年間修行した後「レディースファッション つちや」に入社。金融業界とアパレル業界とでは、全く仕事内容が違うため、最初は戸惑いもあったそうですが、人一倍の努力と奥様の洋子さんのサポートで、幾多の困難を乗り越えてきました。そうして31歳を迎えた頃、お二人の姿に安心したお父様からお店の経営を任されるようになり、社長就任を果たします。銀行員の頃の経験と知識を活かした土屋社長の経営学と、長年の店頭販売経験を活かした奥様の接客で、ファッションの楽しさを伝えてこられたお二人。これからも、ご夫婦健康で仲良く、「つちやブランド」の魅力を広げ、多くの女性の笑顔を増やしていただきたいと思います。三根 孝一 Kouichi Mine
4代目として長年「三根孝一緑茶園」を支えてこられた孝一さん。幼少時代から茶畑や工場で行なわれている栽培・収穫・加工などを身近で見てこられたことで、長男としてこの緑茶園を継ぐ覚悟を持ったそうです。ですが、お茶の世界だけを見るのではなく、別ジャンルの世界も学ぶことで、より成長したいという想いから、学校卒業から28歳までの間、自動車の修理工場で働きます。そこで得た機械の修理技術や物作りへのこだわりを活かし、ご結婚をきっかけに戻った緑茶園で、先代から続く伝統と新しい技術を融合させ、より美味しいお茶作りを目指してコツコツと取り組んでこられました。その姿勢と確かな技術が認められ、平成26年には「第53回農林水産祭(蚕糸・地域特産部門)」にて『内閣総理大臣賞』を受賞され、一躍有名人に。しかし、その肩書きに満足することも威張ることもせず、次世代に向けて謙虚に真面目にお茶を作り続けています。5代目を就任する息子さんのためにも、さらなる高みを目指してほしいですね。杉山 英次 Eiji Sugiyama
分からない問題が解けるようになる瞬間や数字の奥深さを知り、数学が好きになった杉山先生は、数学をもっと学びたいと学校の授業とは別に学習塾に通っていました。学生時代には数学の魅力を人に伝えるため家庭教師のアルバイトを行ない、教える立場側の魅力も味わいました。そのため、当時は学校の先生を目指そうと思ったこともあったそうですが、教える立場の前にまずは自分の実力を付けることを考え、サラリーマンとして8年間社会人をやりながら、数学の勉強を続けていました。その後ご結婚され、奥様のご実家が営む新聞販売店で14年間務められ、数学の知識に自信が持てた2015年4月に「加納進学塾」を開業。今思うと、当時息子さんが中学に入るタイミングだったこともあり、勉強を教えることが多くなったことで、教える立場(教育者)としての魅力を改めて感じたことも、塾の講師という新たな道を歩み始めたきっかけになったのかもしれないとおっしゃっていました。