オーナー様のご紹介
徐 勝二 Katsuji Jo
一本足打法で有名な野球界のスター「王貞治さん」と同じ浙江省(中国)の出身であり、ご本人とは仲も良かった「杭州飯店初代店主」から、お店を任された息子さんの「徐 勝二さん」ですが、最初はお店を継ぐ気はなく、大学は歯学部に入り、歯医者になることも考えていたそうです。しかし、自分には向いていないことを悟り、大学を辞め、お父さまが守ってきた大切なお店を継ぐことを決められました。大学時代に学んだ化学(ばけがく)を麺や皮の製造開発に活かし、お父さまが作りあげてきたメニューをさらにパワーアップさせ、お客様を増やしています。
2017年には息子さんにお店を任せ、更なるお店の拡大を目指しています。これからも、初代から引き継がれた秘伝の味を後世に残し、杭州飯店の味をまだ知らない人たちに食べてほしいですね。
内藤 朝 Miyo Naito
内藤さんのご出身は秋田県。13人もの大家族(6人兄弟)の中で、ご両親が育てた農作物を食べて育ってきたそうです。そのため、幼少時代から畑仕事を手伝い、農作物を育てることに携わってこられました。集団就職のため、昭和31年に静岡県に移動し、忙しい生活がスタート。慣れない土地での忙しい日々に何度も挫折しそうになったときもありましたが、昔から好きだったお花を育てているときだけは心が落ち着き、癒されたそうです。当時は、農家で苦労をしてきた両親をみてきているため、農家を仕事にしようとは思ってはいなかったみたいですが、育てていたお花が成長していく様子を見て、何かを育てる喜びとやりがいを感じ、平成2年に海老塚農園をスタートさせます。
現在は、農家の仕事を何十年も行なっていた長野県出身の方と二人で育てており、お客様からの「美味しい」のために日々頑張っていらっしゃいます。これからも美味しい野菜を育てていってほしいですね。
戸塚 稔春 Toshiharu Tozuka
元々「㈲敬光堂」は、戸塚オーナーのお父様が写真店として1955年に開業したお店ですが、時代のニーズが目まぐるしく変わっていき、お店の事業内容も写真店から電気屋へ、電気屋からオーディオ専門店へと姿を変えていきました。戸塚オーナーは、中学・高校と吹奏楽部に入り、地元の吹奏楽団にも在籍経験があるほどの音楽好きで、1977年にはヤマハ吹奏楽団浜松に在籍し、全国コンクールで数々の優秀な成績を収められました。1981年にはヤマハを退職し、2代目として家業の「㈲敬光堂」を継がれ、長年の音楽経験を活かし、真剣に音と向き合ったことで、オリジナルオーディオ「Inter Cept(インターセプト)」を誕生させました。
本物の音を多くの人に聞いてもらいたいという一心で、作りあげた自信のオーディオは、2011年に静岡県で「経営革新計画企業」として承認され、音楽業界からも注目を浴びました。現在も、奥様と共に常識にとらわれないアイデアと熱い信念を持って、お客様と接していきたいとのことでした。
瀬川 恵子 Keiko Segawa
オーナーである瀬川さんは、広島県のご出身で20歳の頃から経営者になりたいと考えていました。しかし、自分には何もないことに気づき、多くのことを吸収するために美容やお花など色々なことを勉強したそうです。そんな中、のめり込んでいったのが「ボディケア」。人の心と体を癒し、女性の美を応援できる美容分野に大きな魅力を感じ、その後も勉強を重ね、2014年11月に今のお店よりも少し小さいエステ店をオープンされました。それから5か月後に今のお店に移動し、「büranco(ブランコ)」をスタートさせます。
お店のレイアウトや壁紙は全て瀬川さんの手作りで行ない、温かみのある雰囲気を作っています。個人商店にしかできない、お客様サービスや値段設定を目指し、新規のお客様をリピーターに、リピーターをお店のファンにするために日々努力をされている姿はさすがの一言です。
これからも、一人一人のお客様を大切にし、たくさんの笑顔を作っていってほしいですね。
増田 昭子 Akiko Masuda
元々、OLをしていた増田さんですが、経済的な自立を目指し、美容師を目指し始めます。美容師としての技術を磨き、知識を勉強するべく、東京の美容学校に入学し、卒業後には他店で修業を重ねました。最初から独立を夢見ていたこともあり、36歳という若さで静岡県焼津市にて「アートビューティ・かまや」をオープンさせ、経験を重ねてこられました。当時は、カットやパーマ、カラーができるだけではなく、着付もできなければ一人前の美容師とは認められなかったため、着付技術を猛勉強。それに伴う資格も数多く取り、お客様に喜んでもらえる美容師として努力を重ねてこられました。こうした長年の経験の積み重ねが、自信とプライドとなり、技術の向上にも繋がっています。この確かな技術が、お客様に安心感を与え、多くの方をリピーターにしています。
これからも、誰もが安心して足を運べる楽しくて居心地の良い美容室として、頑張っていってほしいですね。
鈴村 孝江 Norie Suzumura
元々は、高校時代に経験した卓球部の経験を活かしスポーツライターを目指していたそうですが、英語が苦手であったこと、部活の顧問の先生に勧められたことで、自らスポーツを実践することを選択し、「中京大学 体育学部」に進学し、舞踊部に入部されました。大学卒業後はスポーツクラブに入社し、その後フリーインストラクターを経て自宅にスタジオを作り、そこで子連れで通えるエアロビクスやソフトヨガ、子供たちにダンスや体操教室を運営。
しかし、2015年1月に息子さんを突然亡くされ、喪失感を感じ、なかなか現実と向き合えずにいました。そんなとき、グリーフケアと出会ったことで、起こった現実の意味をしっかりと理解し、自分の目指すべきステージを見つけることができたそうです。この経験を活かし、グリーフケア・セラピストとして、一人でも多くの人を助けたいと日々ご活躍中です。
勝楽喜 宇龍 Uryu Katsuragi
幼少時代は、誕生日プレゼントで貰った「偉人の伝記」を喜んで読むような子供で、幼い頃から「人間が持つ素晴らしい精神や力」や「この世界に影響を与えている力」に興味を持ち続けて、ずっと学び続けていたそうです。大学卒業後は、様々な業界のクライアントを対象にイベントやキャンペーン、販売施策立案のプロデュース、ツール作成などに携わられました。そんな中、働きながら同時に続けていた、心理学やスピリチュアルについての深い学びの結果、「目の前にある現実や問題」を大きく変えたり、解決するためには、その方の「深い意識が変わる必要がある。」と確信され、仕事として根本的に人生を変えるお手伝いをすると決めたそうです。
現在は、意識への深い洞察、スピリチュアルな視点から、多彩な社会経験、コミュニケーション能力も活かしたカウンセリング手法によりセッションを行ない、多くの方の人生や現実を変えています。これからも、勝楽喜さんにしかできないセッションで、たくさんの笑顔を作っていってほしいです。
多久島 輝司 Terushi Takushima
現在、3代目社長となる輝司さん。店を軌道に乗せた初代社長は、佐賀県伊万里市で修業を重ね、昭和29年に「多久島畳店」を立ち上げました。初代社長に幼少期から畳作りの技術を受け継いだ2代目社長のご子息である輝司さんは、会社の歴史と歴代社長の意志をしっかりと受け継ぎ、伝統を今に伝えています。
3代目の輝司さんも幼い頃からお父さまの仕事姿を見て育ち、高校卒業後に福岡県にある畳作りの専門学校に通いながら修行を重ねます。その経験を活かし、「畳製作一級技能士」の資格を取得され、現場で更なる技術向上を目指し日々畳作りに励んだそうです。
お客様の「笑顔」と「ありがとう」のために、一切の妥協を許さず、一枚一枚丁寧に愛情込めて作り上げられた最高の畳はオンリーワンの一級品。これからも上質な畳を作って、多くの方の暮らしを支えていってほしいですね。
佐藤 亜希子 Akiko Sato
元々、建設会社で秘書職や人事職をしていた佐藤さんですが、仕事に追われ忙しい生活を送っていたある日、「なんのために生きているんだ」という不思議な声が聞こえるようになったそうです。特に、何かに集中しているときに、その声は聞こえ、いつしか声が聞こえること自体が普通になっていきました。その後は、商社や地図の会社などいくつか勤め先を変えたり、会社を企業したりと様々なチャレンジをしてこられましたが、何をやっても本当に自分がやりたいことではないことに気づき、未来に不安を感じていました。
そんなとき、友人からの紹介で出会った遠隔治療によって、自らの身体が良くなった経験からこの世界に魅力を感じ、多くの方を助けたいと「アデプトプログラム」や「カバラ」を学ばれました。
さらに、古代シャーマンが使っていた「チャネリング」という技法も身に着け、神おろしも習得。今ではアロマテラピーとして多くの方から絶大な支持を受けています。
花井 一匡 Kazumasa Hanai
子どもの頃から料理が好きで、試行錯誤しながら色々な料理を作っていたそうですが、当時は将来的に飲食業を仕事としてやっていくつもりなかったため、学校卒業後は6年間サラリーマンとして会社勤めをされていたそうです。しかし、充実感ややりがいを感じず物足りなさを感じ、24歳の頃に退職。本当に自分がやりたいことを自問自答したときに出てきた答えが子どもの頃から好きだった飲食業だったそうです。最初は、新潟県の飲食店で勤めたこともあったそうですが、自分の力を試したい、チャレンジしてみたいという気持ちを押さえられず、生まれ育った藤枝市(静岡県)で独立を決意。当然、不安な気持ちもあったそうですが、奥様の大きな支えもあったことで決心がつき、2016年8月に「麺屋 花枇」をオープンさせました。現在も地元を活性化させたいという熱い気持ちで奥様と二人三脚で日々頑張って営業されています。