オーナー様のご紹介
馬場 賢治 Kennji Baba
ご両親の喫茶店を次ぐためにサラリーマンを辞め、喫茶店で料理の腕を磨きます。そんなとき、とんかつ屋を営んでいた知人からお店を手伝ってほしいと頼まれます。それがきっかけでとんかつの奥深さに魅力を感じ、肉・パン粉・油など全てにこだわり、一から美味しいとんかつ作りに没頭します。その後、平成6年4月に奥様と共に「揚げとんかつ本舗 ばあとん」をオープンさせ、当時からの変わらぬ味で多くのお客様の舌をうならせ、今もなお大人気のとんかつ屋さんです。これからも奥様と二人三脚でこだわりの味を守り抜き、よりお客様に愛されるお店にしていきたいそうです。市山 扇都美 Sentomi Ichiyama
扇都美先生は昔から器械体操やバレーなど体を動かすことが好きで、活発な学生時代を送られていました。そして、40歳を迎えた頃、偶然日本舞踊の舞台を見る機会があり、自分もあの舞台で格好良く踊ってみたいと思ったそうです。思い立ったら即行動の先生は東京の家元の所に踊りを習いに行き、舞踊を学び始めます。当初は生徒の立場でしたが、たまたまレッスンの先生がお休みしたため、代わりに教えることになったのが、人に教え始めるきっかけだったそうです。初心者でもわかりやすい教え方を心がけ、基本を大切にしながらレッスンしているそうです。須田 昌子 Masako Suda
学生時代(17歳)からみんなが集まれるような喫茶店をやりたいと考えていた須田オーナーは、接客の勉強のために平成4年から11年間スナックの雇われ店長として勤めていました。一度はこのままスナックで働き続ようと考えたこともあったそうですが、昔からの喫茶店経営という夢を諦めきれず、平成16年に現在の「カフェ・キャロット」をオープンさせます。スナックでの接客経験を活かし、親しみやすい接客と落ち着く雰囲気作りで今では連日多くのお客様でいっぱいとなっています。萩原 裕 Yutaka Hagiwara
現在四代目となる裕様は学生時代から茶摘みや梱包などお店の仕事を手伝ってきたこともあり、お茶作りの楽しさややりがいを強く感じて育ったそうです。最初は「楽しい」から始まったお茶作りが、どんどん「どうやったら美味しいお茶ができるのか」に変わっていき、本格的にお茶作りと加工、販売、接客の勉強は始めます。お茶作りの経験と、販売を通してできるお客様と触れ合いにより、ますますこの仕事にのめり込んでいき、4代目としてお店を継ぐことを決意します。お茶離れが進む今の若者にもっと美味しいお茶を飲んでもらえるようにこれからも「お茶の光緑園」にしかできないお茶を作り続けていきたいそうです。望月 久資 Hisayori Mochizuki
昔からお母様が美容室を経営されていたこともあり、幼少期から美容師になることを夢見ていた望月店長は18歳のころに東京渡り「窪田理容美容専門学校」で基礎から美容師の勉強を始めます。卒業後も他店舗で修行を積み39歳のときにお母様のお店を継ぐことを決意します。日々変化する時代のニーズに対応すべく、常に技術向上やお客様への新たなサービスを考えていらっしゃいます。
お店のリニューアルを夢に掲げ、これからも美容師としての確かな技術と愛情ある接客で一人一人のお客様に誠実で丁寧な接客をしていきたいそうです。
黒川 俊喜代 Toshikiyo Kurokawa
20歳から大手ミシン店に就職をし、23歳のときにはもう既に管理職として活躍されていました。それから支店長を20年間勤め上げましたが、もっと直接お客様と接し、これまで培ってきた自分の腕をもっと多くの人に使いたいという思いから平成19年に独立し「ミシン屋さん」をオープンさせます。
大手ミシン店で勤務していた時とは違い経営者としての様々な苦労はあるそうですが、直接お客様の笑顔を見れる今は毎日が充実していて楽しいそうです。日々最高のサービスをしたいと様々な工夫をし、お客様をお出迎えしています。これからも持てる技術を最大限に使い、真心込めた接客とサービスを頑張っていきたいそうです。
永野勝久 Katsuhisa Nagano
15歳から見習い修行を重ね、20歳の頃に独立を決意。国家資格である一級技能士の資格を取得し、ご家族の家を建設。
現在も現場の第一線で腕を磨き続けています。
物と人を大切にし、誠実な人柄と確かな技術で地元では絶大な信頼を得ています。
お客様の笑顔が何よりの喜びだという永野社長は、職人さんのシルバー派遣センターを作るという夢に向かい、日々ご活躍されています。
工藤 直枝 Naoe Kudo
工藤オーナーが裁縫に興味を持ったのは、子どもの頃から背が高かったことで、自分で服のサイズを変え始めたことがきっかけだったそうです。しかし、人のために洋裁を学び始めたのは、ご結婚後のこと。洋裁を学んでいるあるママ友との出会いがきっかけとなりました。そのママ友から習った本格的な洋裁の知識や技術を知ったことで、ご近所のお友達や子どもの服を作り始めました。また、30年間勤めてきた介護福祉士の仕事場でも、洋服のリフォームやリメイクなどをボランティアで行ない、多くの方のお悩みを解決してこられました。職種は違えど、仕事をする目的はどこまでいっても困っている人をサポートしたいという想い。この強い想いがあるからこそ、ここを利用した皆さんが続々とリピーターになっていくのだと思います。これからも、工藤オーナーの技術でたくさんの方の笑顔が増えていくと思いうとワクワクしますね。新里 俊子 Toshiko Sinzato
渡辺助産院は、「新里先生」のお母さまが昭和32年に作り、気軽に来れる助産院として長年地元に寄り添ってきた助産院です。元々新里先生は、いつ何があるか分からない助産師の仕事を毎日忙しそうにやっているお母さまの姿を幼少期から見ていたため、最初は助産師を目指すつもりはなかったそうです。しかし、高校生の時に真剣に進路を考えたときに自然と頭に浮かんだ仕事がこの助産師の仕事だったそうです。それは、表面的な忙しさよりも、お母さんと赤ちゃんの命を守れるという部分に大きな「やりがい」を感じたからだといいます。生命の誕生をサポートし続けてきたお母さまの姿を見ていた当時高校生だった新里先生は、何か「使命感」のようなものを感じたのかもしれませんね。これからも安産にこだわり、子育てがスムーズに行なえるお母さんたちの環境を作っていきたいと語っていただきました。
櫻井 裕樹 Hiroki Sakurai
お父さまが車屋さんを営んでいたこともあり、車の整備学校に入り、整備技術や知識を学んだ櫻井社長。学校卒業後には、日産の整備士として実践を積み、24歳でお父さまの会社に入り、経営の勉強に力を入れてこられました。
経営学を学ぶ中で、多くの経営者との繋がりがあり、社員教育の在り方やお客様サービスの大切さ、世の中の動きも知ることができたそうです。入社当初はお父さまの会社を継ぐことを考えたこともあったそうですが、今まで経験し学んだことを活かしたいと、平成29年11月に独立を決意。お客様により満足してもらえる仕組み作りやサービス内容の充実を目指し、「同じ目的を持ったひとが集まる」という意味を込めて、店名を「ユナイテッドカーズ」に。
これからも、多くのお客様と社員の皆さんの人生を背負う経営者として、3人のお子さまを持つパパとして、もっともっとお店を大きくしていきたいと語っていただきました。