オーナー様のご紹介
原 愛子 Aiko Hara
昔から人と直接接する仕事がしたいと、喫茶店のバイトなどの接客業をしていた「原店長」。そして、33歳の時、生活するために何ができるのか、自分が本当にしたい仕事はなんなのかを考え始めました。
それが、誰もが来たら必ず笑顔になる場所「居酒屋」でした。
おいしい手羽先を作るため、盗める技術はないかと名古屋の居酒屋まで足繁く通ったこともあるそうです。
今ではその手羽先がお店の看板メニューとなり大盛況となっています。全てはお客様の笑顔のために。
荒井 昇 Noboru Arai
車の話になると話が止まらなくなるほど車好きな荒井社長。若い頃も車をいじる事が好きで自慢の愛車で色んなところをドライブしたそうです。
そんな車への情熱があるからこそ良い仕事ができ、お客様の満足度も高いのでしょう。
車を通じてお客様が喜んでくれることが何よりの喜びなんだとか。
現在は、奥様と息子さんとたくさんのスタッフとともに、大手にはできないまごころある接客と地域密着型を目指し、お客様第一を目指します。
牧野 静子 Shizuko Makino
15歳~21歳の6年間、名古屋の理・美容院で住み込みの修行を経験し理容師としての腕を磨きます。そのまま名古屋で働くこともできたそうですが、お店を構えるならばやはり地元の方々のために腕を試したいと思われ、地元長野県飯田市で理容室「くつろぎ」の経営を始めます。
最終的には息子さんと一緒にお店やっていきたいという素晴らしい夢をお持ちで、その夢を想像しながら日々楽しく接客されています。接客中、私生活共にとにかく笑顔を忘れない明るくて太陽みたいな牧野オーナー。これからもますます元気いっぱい健康で多くのお客様の笑顔を作っていってほしいです。そして、ご家族全員で仲良く家庭もお店も支えていってくれればと思います。
池田 秀輝 Hideki Ikeda
大正9年に設立された日本を代表するレストラン「東京會舘」にて、約7年間フレンチの修行を積み、地元佐賀県に戻り、お父様の「三幸パン」を継ぐことを決意。本格フレンチで学んだ技術をパン作りに応用し、現在の「三幸パン」の味を見事に確立させました。
この味を求めて遠方から来る方も多く、毎日多くのパンを焼いていらっしゃいます。
現在は、秀輝社長と同じく「東京會舘」で修行した経験を持つ息子さんと奥様も一緒にお店を営んでおり、卓越したパン作りの技術にご家族の絆が合わさり、多くの人に愛される絶品パンが作れているのですね。この味はオンリーワンの特別な味です。
松井 秀一 Hidekazu Matsuki
「松井酒舗」の店主である「松井秀一」さんは現在三代目としてお店を支えています。新潟県自慢の美味しいお酒を多くの人に飲んでもらいたい、笑顔になってもらいたいと現在のようなネット注文での全国発送シズテムを取り入れました。
これにより、地元の方はもちろん、他県の方への販売体制を確立しました。
現在は、女将でもある奥様と二人三脚でお店を経営し、地元との繋がりを大切にし、美味しいお酒を多くの人に提供していらっしゃいます。
これからも地酒を中心に他県へと販売し、地元の魅力を広く発信していきたいとのことです。
石曽根 公二 Koji Ishizone
1962年(昭和37年)10月「石曽根工務店」創立。創設者である「石曽根年秋」元代表取締役社長から2004年(平成16年)に後を継ぎ、現在ますますの発展のため日々ご活躍されています。
元々はピアノの調律師だった公二社長は、一から建築を勉強し努力に努力を重ね、社長就任を果たしました。
地元を愛し、人を愛し、真面目で誠実な公二社長は周囲の信頼も厚く、地元にはなくてはならない存在です。
これからも地元と共に、多くの人たちにより良いサービスをご提案し続けていきたいとのことです。
佐藤 元美 Motomi Sato
元キャビンアテンダントの経歴を持つ美人女将。接客が好きだったこともあり、多くの人に喜んでもらいたいとの思いから一から料理を学び、お母様のお店を継ぐことを決意。今では息子さんと二人三脚でお店を経営しています。お店経営意外にも地元長岡市の活性化のため、「福島江桜まつり実行委員長」や「互尊”杜のコンサート”実行委員長」などもされており、多方面に渡りご活躍中です。関口 明美 Akemi Sekiguchi
関口オーナーのご実家は、長年新潟で車屋さんを営んでいましたが、床屋さんにもいけなかったほど貧乏な幼少時代だったため、逆に理容師に憧れを持たれていました。業種は全く違いますが、関口オーナーの夢をお父様はしっかりと理解し、美容専門学校に入学させてくれたそうです。学校卒業後は10年間、色々な店で修業を重ね、多くのお客様の接客を通じて、実践経験を積まれました。知識と技術に自信が持てるようになった28歳のとき、ある方との出会いから良い物件を紹介され、満を持して独立を決意されます。自分が思ったことを自由に挑戦できる経営者という立場で、時代のニーズを先読みし、美容室と理容室を一つのお店でやれないかと動き出したそうです。
みんなが楽しめる空間作りにこだわることでお客様満足度を上げていこうという熱い想いで、従業員の方と力を合わせて日々頑張っていらっしゃいます。
伊藤 寿彦 Toshihiko Ito
現在2代目としてお店をまとめている伊藤オーナー。幼少期からお父様の背中を見て育ったことで、料理の世界に興味を持ち、高校卒業後に調理師免許を取得され、20歳でお店を手伝い始めました。お父様の指導方法は、「とにかく見て覚えろ」。そのため、最初の15年は中華そばの作り方さえ教えてくれなかったとのこと。手取足取り教わるわけではない分、大変だったそうですが、その分自分で考える癖が付き、どんなことにも対応できる応用力も身に付いたそうです。経験を重ね、接客・料理技術共に向上してきた平成17年に、新京亭の2代目社長としてお父様から代を変わられました。現在は、息子さんもお店に入り色々なことを学ばれている最中なので、これからの新京亭の発展も楽しみです。これからも、長年続く伝統とノウハウを守りながら、多くのお客様に美味しい料理を提供し続けてほしいと思います。
大野 公憲 Michinori Ōno
大野さんの高校は芸能科目がある珍しい学校で、そこで学んだ美術や音楽の授業をきっかけに、音楽・楽器が好きになったそうです。しかし、学校卒業直後はすぐに音楽関係の道には進まず、5年間住み込みで居酒屋で働き、その後、さらに5年間大阪でブティック店の経理の仕事をされていました。そして、ご結婚後、奥様の出身地であった岐阜県に移住し、人生で初めて音楽関係の会社「ヤマハ」に入り、27年間もの間、特約店として多くの人にピアノを販売することとなります。音楽と人、ピアノ、そして自分と向き合ってきた27年もの時間の中で、人と関わることの楽しさを改めて実感し、2006年に職場の仲間から紹介された場所で「ピアノプラザオーノ」を立ち上げます。ヤマハ時代に培ったピアノの知識やコミュニケーション能力をフルに使い、来店される方はもちろん、電話問い合わせのお客様に対しても、音楽の魅力を伝えるために誠心誠意対応し、一歩ずつお客様と地域からの信頼を勝ち取ってこられました。現在も、そしてこれからも、さらに多くの方に愛される楽器店へと成長していくことでしょう。