オーナー様のご紹介
立川 雄二郎 Yujirou Tatikawa
高校時代から行なっていた飲食店のアルバイトでお客様の食べたいものややりたいものを自らの言葉でご提案できることに接客の魅力を感じ、学校卒業後からホテルや旅館などで接客の腕を磨いてこられました。その後、対面販売を中心とした営業職の経験もされてきましたが、仕事仲間からの熱心な誘いに心動かされ、2013年に「レストラン勝」で働き始めます。お客様が満足する表情を見たときや2回目以降も来店してくれたとき、そしてお店の目標を見事達成できたとき、これらが何よりのやりがいだそうです。そして、従業員の方一人一人に対して常に誇りを持ち、このお店を任される店長として、これからも責任感を持って日々お客様と向き合っていきたいと語っていただきました。接客をするスタッフ、調理をする料理人、お店にいらっしゃる全ての方の気持ちが一つだからこそ、高いお客様満足度をキープできるのですね。林 公仁 Kimihito Hayashi
元々17歳からの4年間、船乗りとして船内で魚を捌いていた林店長。ここでの経験がプロの料理人を目指すきっかけとなり、21歳から今日まで現場の第一線で腕を振るってこられました。料理の勉強を始めた当初は、色々な飲食店で10年もの間下積み時代を送り腕を磨かれ、自らの力を試すべく独立を果たしました。しかし、「勝グループ」のオーナーである松尾さんとの出会いをきっかけに、現在の「伊万里・焼肉館 勝」で働き始めることになります。料理に真面目で優しい人柄、こうした林店長の魅力が松尾さんや従業員の方に認められ、店長としてお店を任される立場に。今まで培ってきた料理技術やノウハウをしっかりと活かし、美味しいお肉を新鮮なまま低価格でお客様にご提供したい、そんな想いで日々全力で食材と向き合っています。これからも最高のお肉を一人でも多くの方に食べてもらい、たくさんの笑顔を作っていってほしいですね。木村 怜子 Ryoko Kimura
小さい頃から音楽が好きで、4才でオルガンを始めた木村先生。小学生のときには既にピアノの先生になりたいと思い、熱心に練習に打ち込み、みるみる上達していきました。小中高の学生時代はピアノ教室を続け、部活はずっと水泳部。一つのことに熱中し極めることにやりがいを感じ、これだと思ったことに全力で打ち込む、それが木村先生のこだわりです。そんな音楽に対する熱意もあり、学校卒業後は出産の直前までカワイ音楽教室に勤務し、平成20年には「きむら音楽教室」をオープンさせます。小学生から抱いていた夢と育児を見事に両立させ、経営者としてもピアノの先生としても見事に成功されました。最初は当然知名度がなかったため、周辺のお宅にポスティングチラシを配ったり、新聞折込チラシを入れたりと、様々なご苦労もあったそうですが、親切丁寧な指導方針と楽しいレッスン方法が口コミを呼び、今では多くの生徒さんが集まる知る人ぞ知る人気音楽教室になりました。小椋 喜美 Kimi Ogura
高校卒業後、すぐに東京の美容学校に入学し、夢であった美容師になるため知識と技術を学び始めました。当時は、剃刀で髪の毛を削ぐようにしてカットする「レザーカット」が主流でしたが、飯田市で初めて毛先を揃えるカット方法を取り入れ、「ブラントカット」の第一人者として腕を振るってこられました。カット技術が地元で評価され始め、お店の前には小椋先生にカットしてほしいという女性の方々の長蛇の列ができ、一躍人気美容室に。その後、毛先に関して斜めにハサミを入れるカット方法「チョップカット」を取り入れ、動きのあるヘアスタイルを得意としてこられました。カット技術だけではなく着付技術の評価も高く、冠婚葬祭業界の大手「平安閣」にて長年専属スタイリストとして勤めてきた経歴もあります。半世紀以上腕を振るい続け、女性たちの美を影で支えてきた小椋先生の技術を今の若い世代にも是非味わっていただきたいと思います。青柳 忠浩 Tadahiro Aoyagi
元々、東京で理科の教員を2年間され、新潟県の長岡市役所で27年勤めてきた青柳さん。長年公務員として働く一方、「自分で企業したい」という昔からの夢を諦めることができず、約千平方メートルの土地を購入し、当時建っていた民家を改築した後、52歳で「千の森」を立ち上げました。学生時代は音楽が好きでギターやフルートなどを演奏していたこともあり、レンタル会場にも多くの楽器を揃え、この場所を活用して音楽の素晴らしさを伝えたいという想いも持っているそうです。その他にもエステやスキューバーダイビング等、様々な資格を取るなど、多ジャンルの経験を積むことで、少しでも今の仕事に活かそうと努力されてきました。そんな青柳さんが目指すのは「気軽に利用できる交流スペースを作ること」。一人一人の個性は十人十色ですが、人と違うからこそ、みんなで交流することで、色々な気づきや発見の喜びがあることを教えてくれた熱いオーナーです。浜田 光恵 Mitsue Hamada
元々、健康オタクで、健康茶やハチミツなどを取り入れ、健康食品に関する仕事にも携わっていた浜田さん。当時は茶髪が流行っており、ご自身でも髪を染めてお客さんと会っていたそうですが、ある時お客さんから言われた「健康に携わっているのに、なぜ髪を染めているのですか?」という一言に、化学カラー剤と健康との関わりに興味を持ち、調べ始めました。そうして科学染料が毛穴から体に入ることで、病気の理由になることもあることを知り、ヘナカラーと出会います。昔から漠然と自分のお店を持ちたいと考えていた浜田さんは、ヘナの知識と技術を本格的に学び、2003年ヘナをもっと多くの方に認知してほしいとお店を立ち上げました。最初は、お店を出せるならどんなお店でも良いと思っていたそうですが、ヘナとの出会いによって、ヘナ専門店のオープンに至りました。そんな熱い想いで作られたホットティー!是非多くの方に利用してほしいですね。本間 純子 Junko Honma
元々、本間さんのご実家は電気屋さんでした。当時は電化製品が良く売れ、とても忙しかったため、頻繁にお店の手伝いをしていましたが、23歳でご結婚され、ご主人のご実家であった新潟県に来られました。3姉妹で家の中に女性が多く、昔から化粧品が身近にあったため、自然と美容に興味を抱いていた本間さんは新潟に住み始め、化粧品業界に足を踏み入れます。しかし、当時使っていた化粧品の中に入っていた化学物質によって、顔が黒くなってしまったことで、化粧品の成分や副作用を調べ、美容の在り方を考え始めました。これがきっかけとなり、誰の肌にも合う自然のものを使った化粧品を開発することに成功し、自分のブランドを立ち上げ、子育てをしながら販売されたそうです。ご実家が自営業だったため、自分が企業することにも不思議と不安はなかったそうです。様々な環境や経験から自分の進むべき道を切り開き、数多くの女性の美をサポートしてきた本間さん。これからも多くの女性を救ってほしいですね。加茂 徹彦 Tetsuhiko Kamo
この仕事を始める前は、ごくごく普通のサラリーマンだった加茂さん。全国を飛び回る仕事だったこともあり、自然と各地の喫茶店やカフェでコーヒーを飲む機会が増え、段々とコーヒーの魅力を知っていきました。その後、サラリーマンを辞めてからは、人と関われる仕事がしたいという想いがあり、趣味だったコーヒーの勉強を本格的に始め、2015年に浜松市にて「コーヒー豆の焙煎処kamo」をオープンさせました。とにかく、入りやすく、接しやすいお店を目指し、どんなお客様にも笑顔で丁寧な接客を心がけ、美味しいコーヒーが買える場所として地元に愛されてきました。コーヒーや接客を通じて、人に喜んでもらい、心の距離が近くなることに大きなやりがいを感じ、奥様と共に日々店頭に立っていらっしゃいます。これからも、コーヒーへのこだわりを貫き、コーヒーの魅力を全国に発信し続けていただきたいですね。村松 豊子 Toyoko Murayama
幼少期からお母さんの料理をよく手伝っていたため、自然と料理に興味を持つようになり、家庭でも様々な料理にチャレンジしていた豊子さん。自分の料理を食べて喜んでくれる人の笑顔を見ることにやりがいを覚え、いつしか人が楽しめる場所を作りたいと思うようになります。そして、23歳の頃にご結婚と同時に愛知県犬山市で雀荘経営を始め、その後も炉端焼き店や様々な飲食店の経営をされてきました。そんなある日、たまたま出会ったのが今の物件でした。明治元年に建てられた歴史ある木造住宅ということで建物自体にも魅力を感じましたが、それ以上に大自然に囲まれた美濃加茂市三和町の土地に魅力を感じたのだとか。この場所で事業を始めると決めてからは、大工経験のあるご主人のご協力もあり、順調に建物の修繕や改築を進め、2014年に生涯5店舗目となる「茶房まんてん」をオープン。今では地元の方にとってなくてはならない憩いの場となっています。高橋 正男 Masao Takahashi
元々、ご実家が農家を営んでいましたが、手に職をつけたいと中学卒業後に職業訓練所にいき、大工を目指しました。4年間訓練所で基本を学び、知識と技術の向上のために勉強を重ねましたが、当時の月の給料は5千円。とても生活できない金額ではありましたが、夢の実現のために歯を食いしばり、厳しい生活を乗り越えてきました。その後は職人として様々なところで修業を重ね、更なる実践経験を積みましたが、あるとき親戚の方から家を建ててほしいという依頼がきました。そのときはまだ会社を起業していませんでしたが、この言葉をきっかけに独立を決意し、奥様と共に頑張ってこられました。早くて丁寧な高橋社長の仕事ぶりに、この会社を利用したお客様たちは根強いリピーターとなり、どんどん広がっていきました。これからも、お客様の笑顔のために長年培ってきた技術を最大限に発揮し、多くの方を救っていただきたいですね。