オーナー様のご紹介
阿部 摂子 Setsuko Abe
元々、マッサージを受けることが好きで、色々なエステやリラクゼーションを試していました。様々なお店に通う中でこの技術を自分でもできないかと施術をする側に興味を持った阿部オーナーは、35歳の頃にフェイシャルエステの技術や化粧品のことを学ぶため山形県酒田市から秋田まで半年間通い、腕を磨きました。勉強を重ねる度に日に日に大きくなるのが「自分の店を持ちたい」という夢。この夢の実現のためにさらに力を入れて勉強した後、フェイシャルエステ専門のお店始めました。しかし数年後、お客様から『体は施術してくれないの?』と言われたことをきっかけに、全身が施術できるよう経絡リンパを学び始めます。とにかくお客様に満足してほしいという気持ちで、常に向上心を持って色々なことを学んできた阿部オーナーは、平成24年5月に現在のお店「カーネリアン」をオープン。現在もお客様第一で元気いっぱいに営業されています。長殿 千晶 Chiaki Nagatono
「三重保育園」や「むつみ学童クラブ」は昭和39年に「龍光寺(りゅうこうじ)」というお寺が、地元の方々のために託児所を併設したのが始まりです。お祖父様が創立者だったこともあり、幼少時代から子どもたちがいる環境で育ち、地域の方々からの支えを肌で感じながら育ったそうです。短期大学卒業後は、保育の実践現場に携わり、その後、京都市の中央仏教学院で仏教を学ばれ、本願寺勤式指導所で雅楽や声明の学びを深め、浄土真宗本願寺派本願寺の特別法務員資格を取得されました。この経験をしたことで、学ぶ楽しさを知り、さらに向上心を持ちながら勉強に没頭。しかし、知識があることやキャリアを重ねることに決しておごるのではなく、周りの人への感謝を忘れず常に謙虚な姿勢で人とお話されるのが、長殿理事長の素晴らしいところです。これからも、素敵な笑顔で子どもたちの居場所を作り続けていっていただきたいと思います。小野 本尚 Motohisa Ono
大正12年におじいさまが作った「テーラー飯田屋」。現在3代目としてお店を営む小野オーナーは、子どものときからお父さまがお店で働く姿を見て育ったことで、物心ついた頃からお店を継ぐ決心をされていました。高校卒業後の18歳から5年間、朝6時から夜12時まで過酷な修行を積み、腕を磨きました。スーツを作る際の作業工程の数は想像以上に多く、それらを全て覚えるだけでも何年もかかると言われているため、どれだけ過酷な環境であっても必死に体に覚えさせたそうです。どこまでいっても実践でものをいう世界。人一倍努力し、人一倍数をこなすことで、自分にしかできない仕立てを目指し、3代目として責任を持ってお客様と向き合ってこられました。オーダースーツの良さを一人でも多くの人に分かってもらえるよう、これからもこの技術で笑顔を増やしていってほしいですね。長友 春美 Harumi Nagatomo
「悠美グループ」をまとめる長友会長は、30代の頃の管理栄養士の経験から「健康」に興味を持ち、医療器具の取り扱い業を行なっていました。そんな中、体のあちこちに不調を抱える多くのお客様と関わったことで、もっとたくさんの人の「健康」を応援したいと思うようになったそうです。そして、元々お医者さんであった院長と共に、2016年8月第1号店である「おびたか鍼灸整骨院」をオープンし、その約2年後の2018年4月に第2号店となる「おおもと鍼灸整骨院」をオープンさせました。健康思考が強い中国での仕事経験を活かし、日本でも本場の治療が受けられる場所を作りたいという一心で、ここまでの大きな会社にされてきました。そんな長友会長の気持ちがスタッフの皆さんやお客様に伝わり、地元の方をはじめ、ヘルニアや坐骨神経痛など、お体の不調に悩む方々からも愛される存在になりました。みんなから愛される整骨院として多くの方を救ってほしいですね。大竹 珠寿絵 Sizue Ootake
出身は九州は宮崎県。「美容」に長年興味があり、21歳の頃から本格的に勉強を始め、東京や名古屋、三重などに通いながら、知識と腕を磨いていきました。長年の修行の末に、店長として店舗を任されることが増え、従業員への教育や経営に関しても学ぶ機会があり、エステティシャンとしても経営者としても成長していかれました。この修行中に学んだことが、今の仕事のやり方と考え方に大きく活かされているそうです。そして、色んなご縁を通じて今の場所をご紹介されたのをきっかけに、2017年2月に「SALON de S」をオープン。今もなお、新しい技術の習得をし、お客様へのサービスを拡大できるよう、勉強することを止めず、強い向上心を持たれています。それもこれも全てお客様を思うからこそ。エステの技術と接客で、お客様が変わり、楽しんでくれる姿を見ることが珠寿絵オーナーにとって何よりのやりがいなんだそうです。
大竹 祐介 Yusuke Ootake
元々、この場所で「仙寿楼(せんじゅろう)」という割烹料理店を長年営んでおり、6代目である祐介オーナーのお父様が30歳の頃、建物を建て直しカフェレストラン「センジュ」をオープンさせます。最初は、割烹料理から洋食に移行するにあたり、様々な企業努力と試行錯誤を重ね、センジュオリジナルのメニューを確立。心のこもった接客は奥様、料理はお父様と祐介オーナー。ご家族一人一人がこのお店を支え、各々の長所を活かした形で、日々お客様に対応されています。祐介オーナーは、長期のアメリカ留学経験を持ち、現地で様々なことを学んだあと、29歳の頃にセンジュに入られました。接客の技術や型にはまらないアイデアなど、教科書では学べない生の経験を活かし、センジュを守っていらっしゃいます。これからもご家族皆さんで何十年、何百年と続くお店にしていただきたいですね。
山下 紘忠 Hirotada Yamashita
24歳から10年間、接客業に携わってこられた山下オーナーですが、1度しかない人生、これから自分に何ができるのか見つめ直した結果、辿り着いたのが元々好きだったマッサージ業でした。しかし、マッサージは受ける側しか体験したことがなかったため、一から勉強する必要があり、4年間必死に体(筋肉やリンパなど)の仕組みを学び、技術を磨いていく日々を過ごしました。そんなとき、名古屋市中区錦に空きの物件ができ、2005年に第一号店となる「せらぴあ」をオープンし、早くも二年後の2017年には名古屋市千種区にて今回ご紹介した二号店「くろーばー」を立ち上げました。現在は更なる事業拡大を目指して、従業員の皆さんと共に日々頑張っていらっしゃいます。施術技術と質の高い接客はもちろんですが、お客様のニーズに合わせたお店のコンセプトをしっかり持っているからこそ、リピーターがついてきます。三店舗目、四店舗目とこれから山下社長のお店が増えていくと思うと楽しみでなりません。山内 美和 Miwa Yamauchi
このお仕事をする前は、金融関係の会社で会計事務をしていましたが、過労やストレスが原因で2006年に脳梗塞になり、薬付けの生活が始まりました。元々、体も強い方ではなく、便秘ぎみだった山内オーナーは、薬を飲まなくてもいい生活を目指し、リンパについて勉強し始めました。その後、リンパ整体で働き始め、実技を学んでいく中で、リンパ節を開くことが腸の活性化に繋がることに気づき、腸の力に興味が出てきたそうです。腸のことを知れば知るほど腸の大切さが分かり、腸が体のエンジン部分だと気づいたとき、今までのリンパマッサージの経験と腸の知識を使って、人のために何かできないかと思うようになりました。そんな想いから平成21年に「腸活セラピスト」として、腸活マッサージサロン「ゆるりのもり」をオープンし、現在は社団法人を立ち上げることを目標として日々邁進していらっしゃいます。
金原 禮子 Reiko Kinpara
元々、絵や音楽が好きでしたがデザインをすることにも興味があり、服のデザイナーを目指していたそうです。そのため、学生時代には今のお仕事をするなんて思ってもいなかったそうです。ところが、現実はなかなかうまくはいかず、ご両親のご意見もあり、学校卒業後は楽器屋さんの事務職をすることに。しかし、ずっと机に向かう事務職が向いておらず、洋裁を勉強したいと洋裁の専門学校に通い、東京でも修行を重ねました。この経験と技術を活かし、高齢者社会に突入する日本の未来を見越し、元々お母様がやっていた今の会社をお継ぎになり、20名ほどのスタッフだった今の会社を100名を超えるまでに成長させました。これからも、さらにスタッフを増やし、より幅広いお客様ニーズに対応できるように取り組んでいきたいそうです。
北川 浩美 Hiromi Kitagawa
ご実家も農家で、現在の嫁ぎ先も農家。この北川ディレクターの長年の農業ノウハウが「メデルケ」の商品作りに活かされています。農産物にはランクがあり、中身は全く同じでも、見た目の違いだけで捨てられてしまものがあり、これをどうにか加工して商品に出来ないかとずっと考えてきたそうです。地元の方たちと協力し合い、農家さんたちの手作りで、この捨てられてしまう自然の恵みを活かした商品を作ることに☆
どの商品も昔ながらの作り方にこだわり、手間暇かけ一つ一つ丁寧に作られ、地元で採れたものを地元の方たちによって加工し販売をしていく事の大切さや、里山の暮らしや文化・伝統を体験し伝えていきたい、古き良き里山暮らしを世界に発信したいと「メデルケ」を立ち上げられたのです。また、地元の古民家を改装して民家にしていきたいと、今後の目標を語ってくれました。