オーナー様のご紹介
藤井カヅ子 Kazuko Fujii
小さい頃から人の髪を触ることが好きだったというカヅ子さん。18歳の時、専門学校に通いながら、福岡で5年程修業され、腕を磨くために必死になって生活されてきました。途中、美容師の夢を諦めかけたときもあったそうですが、ご両親からの「資格を取得するまでは頑張りなさい」という言葉が、「やるしかない」という強い気持ちに変わり、見事資格を取ることに成功。資格取得後は他店で更なる修行を重ね、そのとき訪れた独立のチャンスを掴み取ったことで、昭和44年に「ふじ美容室」をオープン。それまでは、従業員としての経験しかなかったカヅ子さんですが、不思議と不安もなく独立という大きなチャレンジを決断できたのだそうです。おそらく、今までの経験と努力のおかげで、どんなことが起きても乗り越えられると思えるほど自分に自信が付いたことで、挑戦の一歩を踏み出せたのだと思います。
現在も地域の皆様と支え合いながら、楽しくお店を経営され、美容師としての技術の向上はもちろん、相手の気持ちに立った思いやりの接客に磨きをかけています。これからもいつまでもお元気で頑張ってほしいですね☆
原田 道夫 Michio Harada
生まれも育ちも新潟県五泉市で、元々ご実家で農家を営んでいらっしゃった道夫さん。ご両親からは将来は大工になり、手に職をつけなさいと言われて育ち、中学卒業後はすぐに大工の修行に出たそうです。修行始めは月1,000円の給料から始まり、決して楽ではない修行だったみたいですが、忙しい修行期間も自分の新しい大工技術や知識が身に付くことにやりがいを感じ、4年半みっちりと楽しみながら修行に専念されたそうです。修行を重ねる中で、現場で行なう大工作業だけではなく、お客様に渡す資料作りにも魅力を感じるようになり、自分で設計し自分で資料も作り自分で作業もできるような何でもできる大工を目指すようになりました。
自分の実力と技術に納得できた昭和52年、念願の「原田建築」を企業し、奥様と共に新たなスタートを切られ、物作りへのこだわりと情熱を絶やすことなくお客様を大切にしてこられました。これからも、基本を忘れず、自分とお客様の両方が納得できる家作りを目指していきたいそうです。
河合 敬子 Keiko Kawai
鹿児島県出身の敬子オーナー。子供の頃、ご自身の髪の毛を母親に切ってもらったり、お友達の髪を切ってあげていたほど、髪を触るのが好きな女の子でした。しかし、美容学校には通わず、普通の会社員として社会に出た敬子オーナーは、それから3年半後、本当に自分のやりたいことは何なのかを考え始めたそうです。そのときに頭に浮かんだ自分の答えが「美容師」だったことをきっかけに、勤めていた会社を辞め、一から美容師の勉強を始め、住み込みで美容学校に通いながら、夜は美容師の見習いとしてお店で働きました。疲れて帰宅したあとも、毎日夜中の2時まで勉強し、無事国家資格である美容師免許を取得し、「日本平ホテル」内の美容院でカット技術だけではなく、着付の技術や知識までも学ばれました。
その後は子育ての期間中美容師の仕事はお休みをしていましたが、子育てが一段落したとき、残りの人生はやりたいことを思いっきりやりたいと平成8年に「美容師オアジー」をオープン。今まで培った全ての技術をこのお店のお客様に使いたいと元気に楽しく接客されている姿はとてもキラキラしています。
梶田 みどり Midori Kajita
このお店を営むのは梶田さんご夫妻。お互い同じ薬店のお仕事についており、愛知県春日井市の職場で偶然出会ったそうです。2005年までは、経営者側ではなく、従業員として働いていたお二人ですが、この「マルミ薬品 アスカ店」の経営をしてみないかというお話を受け、現在に至ります。最初は化学薬品であっても何の疑問も持たず販売していたそうですが、奥様であるみどりさんが頭痛薬を飲み過ぎて体を壊した経験から薬に対しての考え方が変わり、お客様の体調や症状などをお聞きするなど、相談できる薬屋さんとして営業スタイルを確立されました。
そのため、以前に比べ「健康」への価値観も大きく変わり、今まで以上に健康について勉強するようになったそうです。結果的にこのお店の営業スタイルが大手ドラックストアとの差別化へと繋がり、このお店だけのオンリーワンの魅力に繋がっているのでしょう。出会ったときと変わらず、ご夫婦仲良く協力し合ってお店に訪れる全てのお客様に対し、暖かい接客を心がけているそうです。
田代 美奈子 Minako Tashiro
創業当初の平成7年頃、カップラーメンや冷凍食品などが一気に出回り、母親の家庭の味が少なくなりつつありました。そんな食卓の変化を見た美奈子さんのお母さまは、今後手作りの味や家庭の味が時代のニーズになっていくことを見越し、「かあちゃんのおかずや」をスタートさせました。当時は、肉と魚を使わない野菜惣菜専門店というどこにもない新しい試みだったため、多少の不安もあったそうですが、「絶対かあちゃんの味を伝えてみせる」という強いチャレンジ精神で、自ら色々なところへ営業活動を行ない、一件一件地道にお客様を増やしていきました。
今でこそ夫婦共働きが当たり前の世の中ですが、当時は専業主婦が多く、惣菜をスーパーで買うような時代ではなかったため、ご苦労も多かったそうですが、逆にライバル店がなかったことで、やりやすい部分もあったんだとか。今では娘さんに代を継ぎ、家族みんなで仲良くお店を守っています。
水口 明美 Akemi Mizuguchi
この会社は昭和57年に明美さんのご主人のお母さまが創業しました。元々、明美さんは浜松市役所で勤めていましたが、結婚と同時に退職し、最初はお母さまの運転手をするだけの仕事でしたが、段々とそれ以外のお手伝いもするようになり、ヘルパーの仕事を一から勉強するようになったそうです。最初はここまでやるつもりはなかったそうですが、仕事に取り組むお母さまの背中を見て、いつの間にかあの人のようになりたいと思うようになったそうです。現在まで、本当に様々なご苦労があったそうですが、この仕事が人のためにやる仕事であり、人を助ける仕事であることを常に頭に入れておくことで、自分を奮い立たせることができたそうです。
これからも笑顔を絶やさず、真心込めたサービスで一人でも多くの方の力になれるよう、スタッフ一丸となって頑張っていきたいそうです。
堀井 田鶴子 Tazuko Horii
意外にも子どもの頃は美容師になろうとは思っていなかった堀井さん。しかし、高校卒業が近づき進路を決める際、どこでも体一つででき、手に職をつけることができる職業は何かと考えたとき、思いついたのが「美容師」だったそうです。高校卒業後は東京の美容専門学校に入学し、知識と技術を身に着け、卒業後は地元秋田にて5年間修行をされました。最初から自分のお店を持ち、独立することが目標だったため、修行中に接客と実技を学ばれたあと、24歳で独立を果たし、「アトリエ ポチコ」をオープンさせました。24歳という若さでの独立だったにも関わらず、不思議と不安はなく、失敗を恐れることなく、色々なことにチャレンジできたそうです。
現在は、来ていただいているお客様が小学生から大人になっていったり、大学生だった女の子がお母さんになっていったり、お客様と共に成長できるこの仕事にとてもやりがいを感じているそうです。これからも、人と人との関わりと感謝の気持ちを大切にし、一生懸命頑張っていきたいと語っていただきました。
森 礼子 Reiko Mori
元々、保険の事務員をしていたという森オーナー。車の保険から生命保険と幅広く勉強されてきまいたが、勉強を続けるうちに、このままではダメだと感じるようになり保険の代理店として会社と独立されました。そして、51歳の時、師匠との出逢いをきっかけにマヤ暦の魅力にはまり、それから1年程勉強を重ね「開運ナビゲーター」の資格を取得されました。
稼ぐ方法がいくらあっても、稼ぎ方を知らないからみんなは上手くいかないんだということに気づき、森オーナーはそのことを一人でも多くの方に教えたい。生活面、精神面でより良い生活が送れるようにと、一人でも多くの方の支えになりたいと日々私たちの幸せを願っています。
その他にもファイナンシャルプランナー、栄養士、食生活アドバイザーなどなど、様々な資格を取得されているので、今後の生活で幅広くサポートしてくれます。
稲垣 豊 Yutaka Inagaki
18歳で名古屋の仏壇の卸会社に勤めていたという稲垣社長。10年間で様々な経験を積まれてきましたが、ある時、実家の家具塗装を継ぐ事に。
実家で家具の塗装業をしながら、以前の会社での経験を活かし、仏壇の小売りを始めたいと「仏壇再生工房いながき」をスタートさせました。
きっかけはダスキンのCMを見て、仏壇をクリーニングするという発想にいたり、仏壇界のダスキンのような存在になりたいと夢を掲げました。
やっているうちに、拭いて塗装しているだけでは本当の意味で仏壇をキレイにすることにはならないと気づき、仏壇に込められたご家族の様々な想いを考えるようになり、一つ一つの仏壇と真剣に向き合うようになったそうです。ご家族の方の想いに応えていくことは簡単なことではありませんが、だからこそこの仕事にやりがいを持ち、誠心誠意、真心こめてお仕事されているのです。
那須 茂敬 Shigenori Nasu
ご実家が機械関係の会社をしていたこともあり、機械をいじることが好きで、17歳のころ、機械関係の仕事をするため名古屋に向かいます。しかし、お父様の体調が悪くなり、19歳で浜松に戻り、お父様の会社を継ぐことになったそうです。それまでは、料理の経験も、興味もなかったそうですが、20歳のころに始めた釣りをきっかけに料理に興味を持ち、料理のことも学びながら、ご実家の会社とは別に工場を作ったり、様々なことにチャレンジしてきたそうです。
それらの経験を踏まえ、平成24年に居酒屋「よらまいか」をオープン。多くの人が集まり、楽しい空間を作りたいという那須店長の想いを全て詰め込んだこのお店で、これからも美味しい料理とお酒、楽しい時間を提供していきたいそうです。