オーナー様のご紹介
戸塚 稔春 Toshiharu Tozuka
元々「㈲敬光堂」は、戸塚オーナーのお父様が写真店として1955年に開業したお店ですが、時代のニーズが目まぐるしく変わっていき、お店の事業内容も写真店から電気屋へ、電気屋からオーディオ専門店へと姿を変えていきました。戸塚オーナーは、中学・高校と吹奏楽部に入り、地元の吹奏楽団にも在籍経験があるほどの音楽好きで、1977年にはヤマハ吹奏楽団浜松に在籍し、全国コンクールで数々の優秀な成績を収められました。1981年にはヤマハを退職し、2代目として家業の「㈲敬光堂」を継がれ、長年の音楽経験を活かし、真剣に音と向き合ったことで、オリジナルオーディオ「Inter Cept(インターセプト)」を誕生させました。
本物の音を多くの人に聞いてもらいたいという一心で、作りあげた自信のオーディオは、2011年に静岡県で「経営革新計画企業」として承認され、音楽業界からも注目を浴びました。現在も、奥様と共に常識にとらわれないアイデアと熱い信念を持って、お客様と接していきたいとのことでした。
林 和幸 Kazuyuki Hayashi
高校に入ってから、美容師になることを夢に持ち、高校3年生から通信学校で美容師について学び始めた林オーナー。資格を取ってからは、18歳~26歳までの8年間、東京で修行を重ね、実践を積んできました。最初は雑用だけの厳しい見習い時代もありましたが、夢の実現のために耐え、今があるそうです。
実践で学んだことは、美容師としての技術だけではなく、どうやったらお客様にくつろいでもらえるかという「おもてなし」の部分やお店の雰囲気作り。その結果、お客様が歩く動線や目線を考えたお店の作りと今のような豊富なメニュー展開へと繋がりました。
高齢化社会に伴い、お店もスタッフもお客様も年を重ねていきますが、だからこそ、「美」と「健康」に大きな価値観を持ち続け、お客様に提案し続けていくことが、美容師としての使命だと考えているそうです。
これからも、昔からのお客様にも新規のお客様にもずっと通ってもらえるお店作りにこだわっていきたいとおっしゃってくれました。
瀬川 恵子 Keiko Segawa
オーナーである瀬川さんは、広島県のご出身で20歳の頃から経営者になりたいと考えていました。しかし、自分には何もないことに気づき、多くのことを吸収するために美容やお花など色々なことを勉強したそうです。そんな中、のめり込んでいったのが「ボディケア」。人の心と体を癒し、女性の美を応援できる美容分野に大きな魅力を感じ、その後も勉強を重ね、2014年11月に今のお店よりも少し小さいエステ店をオープンされました。それから5か月後に今のお店に移動し、「büranco(ブランコ)」をスタートさせます。
お店のレイアウトや壁紙は全て瀬川さんの手作りで行ない、温かみのある雰囲気を作っています。個人商店にしかできない、お客様サービスや値段設定を目指し、新規のお客様をリピーターに、リピーターをお店のファンにするために日々努力をされている姿はさすがの一言です。
これからも、一人一人のお客様を大切にし、たくさんの笑顔を作っていってほしいですね。
津村 繁明 Shigeaki Tsumura
元々、訪問販売の営業をされており、多くの接客経験を積んでこられた津村社長(写真左側)。ご実家は香川県で、呉服屋さんを営んでいらっしゃったこともあり、昔から起業してみたいという夢をお持ちでした。清掃への興味や技術は前職で持ったそうですが、販売方針や価格帯に不信感を抱き、本格的に独立を決意。今まで積み重ねた営業経験と清掃技術を活かし、一からお客様を作ってこられました。
独立から約2年後には、ご結婚され娘さんも誕生。お客様、家族、従業員が増えるにつれて、仕事への責任感が大きくなり、これからの時代に合った新しいお客様サービスを展開し、会社をどんどん大きくしていきたいとのことです。そして、従業員も増やし、地元である香川県に事務所を構えていきたいそうです。
中山 稔 Minoru Nakayama
46歳頃から健康に興味を持ち、身体の仕組みや健康についてを学び、健康食品や自然食品に対しても取り入れてこられました。しかし、どれだけ良いものを摂取しても、それを吸収する身体作りが大切だと気付き、脊椎や腸に重きをおき、2017年8月に「脊椎セラピーV3」をオープンさせ、人間の身体にとって脊椎がどれだけ重要なのかを多くの人に伝えています。
自分が興味を持ったことに対して、とことん突き進む中山さんの性格を、しっかりと理解している奥様。だからこそ、誰よりもサポートできるのでしょう。
どんなことにも積極的に取り組む中山さんは、常に新しい情報を学び、お客様に提供しています。そして、人との出会いに感謝し、日々接客に力を入れています。
これからも健康と人との関わりを大切にし、来店されたお客様全てに、人間が本来持つ「健康」と「環境」を両立させていきたいそうです。ご主人の面白いアイデアと奥様の大きなサポートで、もっともっと多くの人の笑顔を作っていってほしいですね。
増田 昭子 Akiko Masuda
元々、OLをしていた増田さんですが、経済的な自立を目指し、美容師を目指し始めます。美容師としての技術を磨き、知識を勉強するべく、東京の美容学校に入学し、卒業後には他店で修業を重ねました。最初から独立を夢見ていたこともあり、36歳という若さで静岡県焼津市にて「アートビューティ・かまや」をオープンさせ、経験を重ねてこられました。当時は、カットやパーマ、カラーができるだけではなく、着付もできなければ一人前の美容師とは認められなかったため、着付技術を猛勉強。それに伴う資格も数多く取り、お客様に喜んでもらえる美容師として努力を重ねてこられました。こうした長年の経験の積み重ねが、自信とプライドとなり、技術の向上にも繋がっています。この確かな技術が、お客様に安心感を与え、多くの方をリピーターにしています。
これからも、誰もが安心して足を運べる楽しくて居心地の良い美容室として、頑張っていってほしいですね。
関口 みどり Midori Sekiguchi
生まれも育ちも千葉県野田市の関口オーナーですが、2005年にご夫婦共に鎌倉市に移住し暮らし始めます。元々、マッサージやエステが好きで多くのサロンに通っていましたが、段々と自分も同じように人を癒してみたいと思うようになり、2017年1月から本格的にエステ技術を学び始め、アロマの香りがもたらす癒し効果にどんどん興味を持っていきました。子育ても終わり、体力的にも精神的にも余裕ができたとき、アロマエステへの興味が自分のサロンを開きたいという願いとなり、2017年7月7日に「鎌倉meme」をオープンさせることとなりました。人を癒すというのは、簡単なことではありませんが、お客様自身も気づいていない身体の不調や心の乱れを知らせることができ、さらに施術後の心と身体の変化に気づいていただけるこの仕事にとてもやりがいを感じているそうです。これからも、多くの方を癒し、アロマの魅力を伝えていってほしいですね。
鈴木 義昌 Yoshimasa Suzuki
今は「呑家いっぽ」の店長としてお店を構える鈴木オーナーですが、意外にも幼稚園の頃はケーキ屋さんになりたかったそうです。小学校から高校まで野球に没頭し、高校卒業後は音楽に目覚めバンドを組み、ボーカルやベースを担当した大学時代がありました。その経験を活かし、シンガーをしながらダーツバーでバイトをしたり、カラオケバーで料理やお酒を作るなどして、5年間料理について学び、修行を重ねられました。そして、30歳を目前にしたとき、自分を試すつもりで思い切ってお店をオープンすることを決意。
静岡県藤枝市の地域性をに合わせた営業展開を軸に、今までの経験を活かした更なるお客様サービスに力を入れ、「美味しい」の声を増やしていきたいそうです。そして、一度来店した方が再びリピーターとして来てくれるよう、このお店にしかできない最高のおもてなしを目指し、居心地の良い空間作りにこだわりたいと熱く語っていただきました。
清水 博美 Hiromi Shimizu
元々は、外国の方たちを対象に日本語教師を長年され、その後学研教師のご経験もある清水博美さんですが、あるとき病にかかり、薬を飲む生活になってから、その薬の副作用により、だるさが続くようになり、高血圧になってしまったそうです。そんなときに、「リストアリンパ」と出会い、薬で体がどんどん悪くなっていったそれまでの自分とは正反対に、体調不調が改善していくという不思議な経験をしたことで、どんどんリンパに興味を持ち、多くの人を救いたいと思い始めたそうです。
また、来店されたお客様をリンパによって癒すだけではなく、教師の経験を活かし、知識と技術を伝授する「セルフリンパ講習」を展開し、将来のエステティシャンの育成にも力を入れていらっしゃいます。これからも、更にご活躍の幅を広げ、多くの女性を輝かせていかれることでしょう。
鈴村 孝江 Norie Suzumura
元々は、高校時代に経験した卓球部の経験を活かしスポーツライターを目指していたそうですが、英語が苦手であったこと、部活の顧問の先生に勧められたことで、自らスポーツを実践することを選択し、「中京大学 体育学部」に進学し、舞踊部に入部されました。大学卒業後はスポーツクラブに入社し、その後フリーインストラクターを経て自宅にスタジオを作り、そこで子連れで通えるエアロビクスやソフトヨガ、子供たちにダンスや体操教室を運営。
しかし、2015年1月に息子さんを突然亡くされ、喪失感を感じ、なかなか現実と向き合えずにいました。そんなとき、グリーフケアと出会ったことで、起こった現実の意味をしっかりと理解し、自分の目指すべきステージを見つけることができたそうです。この経験を活かし、グリーフケア・セラピストとして、一人でも多くの人を助けたいと日々ご活躍中です。