オーナー様のご紹介
勝楽喜 宇龍 Uryu Katsuragi
幼少時代は、誕生日プレゼントで貰った「偉人の伝記」を喜んで読むような子供で、幼い頃から「人間が持つ素晴らしい精神や力」や「この世界に影響を与えている力」に興味を持ち続けて、ずっと学び続けていたそうです。大学卒業後は、様々な業界のクライアントを対象にイベントやキャンペーン、販売施策立案のプロデュース、ツール作成などに携わられました。そんな中、働きながら同時に続けていた、心理学やスピリチュアルについての深い学びの結果、「目の前にある現実や問題」を大きく変えたり、解決するためには、その方の「深い意識が変わる必要がある。」と確信され、仕事として根本的に人生を変えるお手伝いをすると決めたそうです。
現在は、意識への深い洞察、スピリチュアルな視点から、多彩な社会経験、コミュニケーション能力も活かしたカウンセリング手法によりセッションを行ない、多くの方の人生や現実を変えています。これからも、勝楽喜さんにしかできないセッションで、たくさんの笑顔を作っていってほしいです。
村越 直実 Naomi Murakoshi
平成9年頃、エステティシャンのお知り合いがきっかけとなり、「美」と「健康」に興味を持ち、エステについて学び始めたそうです。美しくなってもらうためだけではなく、心と体のケアをするためにと、エステの他に「純金杖療法(じゅんきんじょうりょうほう)」と「イネイト活性療法」の習得にも力を入れ、多くの方を救っています。最初は、身近な人だけに施術を行なうだけでしたが、トラウマが解消され、元気になっていく人たちが増えていくと同時に自分のやりがいであり生きがいになっていることに気づき、平成29年4月に「ラ♥アミ」としてエステサロンを立ち上げました。
今では、口コミを中心に新規のお客様も増え、多くの人たちが出入りする楽しい空間となり、毎日笑顔で営業されています。これからも、癒しの技術を高め、多くの方の明るい未来をサポートしていきたいと熱く語っていただきました。
櫻井 充 Mitsuru Sakurai
元々は車屋さんではなく、バイク屋さんを営んでいたそうですが、少しずつ時代が変わり、どの家庭でも車を所有するようになったことで、車屋さんへと経営内容を変更していったそうです。現在、2代目として「桜井モータース」の経営はもちろん、現場でもご活躍中の「充社長」ですが、意外にも子どもの頃は魚屋さんになりたかったそうです。そんな充社長の気持ちを動かしたのは、中学校の先生の「お父さんのように車屋さんになりなさい」という一言でした。
その後、専門知識を学ぶため、自動車の整備専門学校に入学した充社長は、車の知識だけではなく整備技術向上にも力を入れ、「桜井モータース」を継ぐために、一生懸命勉強されました。
2代目就任は平成8年。お父様の意志を継ぎ、安全・安心な車をお客様にご提供するため、就任から現在まで一切の妥協を許さない仕事ぶりで、多くのお客様から絶大な支持を受けています。これからも、ご夫婦と従業員の方々みなさんでいつまでも健康で仲良く頑張ってほしいですね。
藤井カヅ子 Kazuko Fujii
小さい頃から人の髪を触ることが好きだったというカヅ子さん。18歳の時、専門学校に通いながら、福岡で5年程修業され、腕を磨くために必死になって生活されてきました。途中、美容師の夢を諦めかけたときもあったそうですが、ご両親からの「資格を取得するまでは頑張りなさい」という言葉が、「やるしかない」という強い気持ちに変わり、見事資格を取ることに成功。資格取得後は他店で更なる修行を重ね、そのとき訪れた独立のチャンスを掴み取ったことで、昭和44年に「ふじ美容室」をオープン。それまでは、従業員としての経験しかなかったカヅ子さんですが、不思議と不安もなく独立という大きなチャレンジを決断できたのだそうです。おそらく、今までの経験と努力のおかげで、どんなことが起きても乗り越えられると思えるほど自分に自信が付いたことで、挑戦の一歩を踏み出せたのだと思います。
現在も地域の皆様と支え合いながら、楽しくお店を経営され、美容師としての技術の向上はもちろん、相手の気持ちに立った思いやりの接客に磨きをかけています。これからもいつまでもお元気で頑張ってほしいですね☆
多久島 輝司 Terushi Takushima
現在、3代目社長となる輝司さん。店を軌道に乗せた初代社長は、佐賀県伊万里市で修業を重ね、昭和29年に「多久島畳店」を立ち上げました。初代社長に幼少期から畳作りの技術を受け継いだ2代目社長のご子息である輝司さんは、会社の歴史と歴代社長の意志をしっかりと受け継ぎ、伝統を今に伝えています。
3代目の輝司さんも幼い頃からお父さまの仕事姿を見て育ち、高校卒業後に福岡県にある畳作りの専門学校に通いながら修行を重ねます。その経験を活かし、「畳製作一級技能士」の資格を取得され、現場で更なる技術向上を目指し日々畳作りに励んだそうです。
お客様の「笑顔」と「ありがとう」のために、一切の妥協を許さず、一枚一枚丁寧に愛情込めて作り上げられた最高の畳はオンリーワンの一級品。これからも上質な畳を作って、多くの方の暮らしを支えていってほしいですね。
林 けい子 Keiko Hayashi
元々学生時代から人の髪を触ることが好きで、友達の髪を結んだり、クシを梳いてあげたりしていたそうです。ヘアセットすることで人に喜んでもらい、それが自分の喜びにもなることに気づいたとき、自然と美容師を目指すようになり、高校卒業後に美容学校に入学。専門学校卒業後、東京の美容室で技術を磨き、職場でご主人と出会いご結婚されます。お互い同じ美容師ということもあり、ご主人のご実家である佐賀県西松浦郡にて、お二人で美容室をオープンされ、長年有田町のお客様に愛されてきました。
そして、2015年4月に更なるチャレンジとして「美容室リボン」を立ち上げ、けい子さんのお店として独立を果たし、毎日元気に営業中です。人は生きていく中で様々な悩みや苦労を経験しますが、人に相談するだけで驚くほど楽になれ元気になれます。お客様にとって、この場所がそんな心の癒しスポットになればと思いながら接客をしているそうです。
これからも、いつも笑顔でみんなを明るくするけい子さんでい続けてほしいですね☆
原田 道夫 Michio Harada
生まれも育ちも新潟県五泉市で、元々ご実家で農家を営んでいらっしゃった道夫さん。ご両親からは将来は大工になり、手に職をつけなさいと言われて育ち、中学卒業後はすぐに大工の修行に出たそうです。修行始めは月1,000円の給料から始まり、決して楽ではない修行だったみたいですが、忙しい修行期間も自分の新しい大工技術や知識が身に付くことにやりがいを感じ、4年半みっちりと楽しみながら修行に専念されたそうです。修行を重ねる中で、現場で行なう大工作業だけではなく、お客様に渡す資料作りにも魅力を感じるようになり、自分で設計し自分で資料も作り自分で作業もできるような何でもできる大工を目指すようになりました。
自分の実力と技術に納得できた昭和52年、念願の「原田建築」を企業し、奥様と共に新たなスタートを切られ、物作りへのこだわりと情熱を絶やすことなくお客様を大切にしてこられました。これからも、基本を忘れず、自分とお客様の両方が納得できる家作りを目指していきたいそうです。
間 ミヱ Mie Aida
お姉さまも理容師だったこともあり、中学卒業後すぐに住み込みで理容室で見習いとして働きながら、専門学校に通われました。月500円の給料から始まり、1年後には600円と、少しずつ実力と収入を上げていきました。この6年間の修行期間は間さんにとって、とても辛い日々だったそうですが、「理容師になりたい」という強い夢のおかげで、どんな修行も乗り越えられたんだとか。その後、専門学校の同期だったご主人とご結婚され、ご夫婦二人で理容師として忙しく働く日々が始まりますが、お子さまが生まれると、子育てと仕事の両立が大変で、毎日があっという間に過ぎていったそうです。しかし、「修行」、「子育て」、「経営」の全てを経験され、苦労もやりがいも味わった間さんだからこそ、今の「リフレッシュアイダ」があるのでしょう。今では息子さんも理容師の資格を持ち、仲良く一緒にお店を営んでいらっしゃいます。
土田 明美 Akemi Tutida
昭和52年にスタートした子ども向け刑事ドラマ「刑事犬カール」の影響で、小学生の頃は犬の調教師になりたかったそうです。しかし、年齢を重ねる度に、美容の道に興味を持ち、美容専門学校に入学され、近所の床屋さんからおすすめされた「理容師」を目指すようになります。卒業後は、新潟県五泉市にて月2万円の給料から修行をスタートし、5年間住み込みで腕を磨いた苦労人。その後は、静岡県で育児をしながら理容店で働き、実戦経験を積みながら、自分の技術に自信を付けていったそうです。
そして、子育ても一段落し地元に戻ってきた際にたまたま働いていた1000円カットの理容室で、今まで経験したことのないコストパフォーマンス(値段設定)に衝撃を受け、自分でもお客様に喜んでいただける理容室を作りたいと思い、平成19年8月に1000円カットの理容室「髪切虫」をオープンさせました。
多くのご苦労を重ねた土田さんだからこそ、お客様を大事にし、楽しみながら、毎日元気にお店を営んでいらっしゃいます。
佐藤 亜希子 Akiko Sato
元々、建設会社で秘書職や人事職をしていた佐藤さんですが、仕事に追われ忙しい生活を送っていたある日、「なんのために生きているんだ」という不思議な声が聞こえるようになったそうです。特に、何かに集中しているときに、その声は聞こえ、いつしか声が聞こえること自体が普通になっていきました。その後は、商社や地図の会社などいくつか勤め先を変えたり、会社を企業したりと様々なチャレンジをしてこられましたが、何をやっても本当に自分がやりたいことではないことに気づき、未来に不安を感じていました。
そんなとき、友人からの紹介で出会った遠隔治療によって、自らの身体が良くなった経験からこの世界に魅力を感じ、多くの方を助けたいと「アデプトプログラム」や「カバラ」を学ばれました。
さらに、古代シャーマンが使っていた「チャネリング」という技法も身に着け、神おろしも習得。今ではアロマテラピーとして多くの方から絶大な支持を受けています。